弁イの歴史

弁イの願いは、おいしい干物を提供し、日本の食卓に笑顔を届けること。

この願いは創業から百余年を経た今も変わることなく、弁イのなかにしっかりと受け継がれています。

振り返ってみれば、3代にわたる弁イの歩みは、多くのお客様やお取引先様からいただいたご縁の歴史そのものでした。

この「干物」と「ご縁」という日本が誇る文化を4代目、5代目へと伝えていくことは、私たちの使命であり、願いです。

時代がどんなに移り変わろうとも、私たち弁イはこのご縁の歴史を大切にしながら、一歩一歩を踏みしめながら着実に歩んでいきたいと思います。

第1章 礎
鈴木伊右ェ門
鈴木伊右ェ門

「弁イ」の創業は、大正時代に遡ります。現当主の祖父にあたる鈴木伊右ェ門が一念発起し、伊勢湾を望む富田一色弁天町に煮干しを製造し、自ら商う小さな店を立ち上げたのです。弁天町は、新鮮な魚が入手しやすく、魚の加工に適した海水を含んだ地下水が豊富な土地柄でした。
当時は、採れたての雑魚を妻のかづゑが丁寧に加工し、伊右ェ門が自転車で売り歩く…そんな明治生まれの夫婦の真面目さだけが取り柄の個人商店に過ぎませんでした。
しかし、地道な行商を続けるうちに、いつしか「煮干しなら弁天町の伊右ェ門さんに限るよ」と言ってくださるお得意様が徐々に増え、弁天町の伊右ェ門は親しみを込めて「弁イさん」と呼ばれるようになっていきました。
当社の社名「弁イ」は、そんな伊右ェ門の精神を受け継ぎ、どんな時代になっても真面目な商品をお届けするという誓いを込めて名付けたものです。

第2章 挑戦
鈴木脩平
鈴木脩平

2代目の脩平は、幼いころから父・伊右ェ門の行商に同行しては、この仕事をよく見、自分で体験しながら育ちました。そして、お客様と直接触れ合うことの大切さを学んだといいます。
脩平が家業を継いだころ、主力商品は干物となり、名古屋の市場までトラックを自ら運転し出荷していました。売上げも順調に伸びていましたが、脩平は「丹精込めた弁イの干物をもっと多くの人に食べていただきたい」と考え、自ら流通ルートを開拓。当時としては大変珍しいことでしたが、関西、山陽などの卸や小売店などとの直接取引に打って出たのです。
魚の買付においても脩平の眼力には定評があり、質と最適な価格を見極めて決断する才覚は、同業者からも注目されました。
さらに、時流を読む目も確かで、工場に先進の冷凍技術をいち早く導入。干物の製造工程を大きく進化させたのです。

第3章 伝統と想像
鈴木貴視
鈴木貴視

1983年、現社長の貴視が弁イに入社しました。仕事の基本はすべて父である脩平から学んだものでしたが、入社早々から市場や取引先へ一人で出向き、そこで出会った人たちとの語らいのなかで柔軟な発想を育んでいきました。 そして、85年には「ひもの食堂」を開業。貴視にとっては、多くの人と直接つながることの大切さを形にする最初の大仕事でした。
その後、−50℃で急速冷凍できる冷凍庫を使用。製造工程においても飛躍的な進化を成し遂げ、さらには世界に視野を開き、質の高い魚をより安価に入手できるルートを確立しました。
守るべき伝統を守り、変化すべきことに対しては既成概念にとらわれることなく果敢に挑戦していく。それが、現在の弁イの姿です。
この弁イの思いを受け継ぐべく、数年後には4代目も助走を始める予定です。どうぞ、これからの弁イにもぜひご注目ください。